四国創価学会( 創価学会:そうかがっかい )公式ウェブサイトへようこそ。ここでは四国創価学会の活動や池田大作創価学会名誉会長の桂冠詩人展などを紹介しています。

紅の歌

誕生の背景

(1)1980年 「さんふらわあ7」号での求道旅

「紅の歌」が誕生する1年前の、1980年(昭和55年)1月と5月、四国創価学会は、3度にわたり池田名誉会長が待つ神奈川へ向かいました。関西汽船の客船「さんふらわあ7」号に乗り、太平洋の荒波を越えた同志は、約3000人にのぼります。
 
83T839383t8389838F815B83J8389815B折しも名誉会長就任から約1年。嫉妬の悪侶らが宗教権威を振りかざし「創価の師弟」を分断しようとしていた渦中に師匠のもとに馳せ、一人一人が生涯にわたる「師弟共戦」を誓いました。
名誉会長は、この時の求道旅を「学会が最も大変な時に、一番先に駆けつけてくれたのが、四国の同志だった」と綴っています。

  

(2)1980年~81年 反転攻勢

88A495Q92j8Eq959480年5月愛媛男子部は「唱題と折伏の愛媛」を合言葉に

日本一の弘教を達成 

 

 

 

8D8292m91CC8CB194AD955C91E589EF81年高知は支部総会や町村で体験発表大会を開催     

堂々たる実証に地域の認識が一変 

 

 

 

95BD98a8Ds93AE93W81i8D8190EC81j81年10月香川で世界初の「池田SGI会長の平和行動」展を開催

10万人が鑑賞 

 

 

 

B8DC082CC93BF9387281年10月徳島で、ブロック座談会を開催しました。              

学会世帯を超える友人が参加 

 

 

(3)1981年11月 「紅の歌」誕生

 

8Dg82CC89CC81E90A78DEC96CD97l11月10日、名誉会長は徳島から香川の四国研修道場へ。
全国模範の大前進を続ける四国4県の友に、力強く語りました。
「もう一度、私が指揮をとらせていただきます! 私の心を知ってくださる方は、一緒に戦ってください!」

12日の夜、四国青年部は師弟直結の決意を込めて作成した原曲「黎明の歌」を披露。
名誉会長は即座に推敲を始め、3日間20数回にもおよぶ直しを経て、14日、「紅の歌」が誕生しました。
名誉会長が四国青年部と共に「創価の師弟の勝利」と「新時代の夜明け」を綴った「紅の歌」は電撃的に発表され、反転攻勢の魂が全国に広がりました。

 「紅の歌」の精神

 「紅の歌」は、青年の歌です。名誉会長は、題名の「紅」について「太陽が真っ赤に燃えるような情熱」「朝ぼらけの日出ずる時の光景」「青年の戦う命に満ちた一切」がこの中に含まれていると語っています。

「1行目の出だしが勝負なんだ。太陽や月がパッと広がるような出だしでないとダメだよ」と語り、冒頭の歌い出しを「ああ紅の」と改めると「音の出だしはこうだよ」と一小節を口ずさみました。

推敲は3日間20数回にわたり、激務の合間を縫って行われました。11月14日夜に歌は完成。その後、新しい男子部愛唱歌として、全国に発表され、学会の新時代の象徴として歌われました。

1981年11月15日、名誉会長は四国指導を終え、高松空港から関西へ。出発の間際に『紅の歌』は四国の皆さんのことを歌いました。四国の皆さんにとっては、とりわけ『3番』の歌詞が大切です。と語っています。

 
現在、「紅の歌」は時代を超え、国を超え、世界5大陸のSGI(創価学会インタナショナル)諸国のメンバーにも歌い継がれています。
PAGETOP
Copyright © (2004-2016) 創価学会 All Rights Reserved.