四国創価学会について

方面長あいさつ

みなさま、日頃より四国創価学会の活動にご理解頂き、誠にありがとうございます。

太平洋、瀬戸内海に囲まれ、四国山脈がそびえ立つ風光明媚な香川、高知、愛媛、徳島からなる四国は、それぞれが魅力を輝かせながら、地域に根を張り、志を高く掲げ歴史を刻んで参りました。

四国に創価学会員の一粒種が誕生したのは、昭和28年(1953年)。それからおよそ半世紀以上。四国の創価家族は、地域に友情と信頼の絆を広げてこれまでの四国創価学会を築き上げてくださいました。

少子高齢化社会の中で、未来ある青年を育て、次代を担う力ある人材を輩出し、人間関係の希薄化が叫ばれる中にあっては目の前の一人に希望の光を送る私たちの活動はいよいよ水嵩を増して必要とされているように感じてなりません。青年を育てたところが、発展を続けるとの思想のもと、若い世代を主体として、日蓮仏法を基調とした平和・文化・教育に対して取り組みを行っています。とりわけ、東日本大震災を目の当たりにし、四国にも今後30年間に必ず来るであろうと言われている南海大地震に対する意識調査を行い、2017年現在で6回目を迎えています。また、郷土の抱える課題に対して、若年層がどう向き合うかを提唱する「志国青年連続講座」を開催しています。

四国は志国、師国、詩国と池田先生に名前を頂いたとおり、ロマン溢れる天地です。詩情に溢れた豊かな風土の中で、師匠・池田先生に喜んで頂ける希望の天地を築きあげるため、四国の同志は走り続けています。これからも方面歌「我らの天地」、四国で誕生した学会歌「紅の歌」を青年と共に歌いながら、一人一人が自分らしく輝ける人生を歩んでいけるよう活動して参ります。

四国長  松下 博文

池田先生と四国 3つの原点
 師弟求道の原点 

昭和54年4月24日、学会の永遠の魂である師弟を分断しようを策謀した邪宗門の狂った嵐が吹き荒れた。衣の権威を振りかざし、宗門は、池田先生に対し、“先生との呼称を使ってはいけない”“大きな会合で話をしてはいけない”“聖教新聞に載ってはいけない”と重ねて理不尽な要求を突きつけた。
師匠を求めるすべを奪われた全国の友、そして閉塞した状況の中、四国の同志はひたすら人生の師匠を求め抜く道を探し求めた。
“先生が動けないのなら、私たちが、神奈川文化会館におられる先生のもとへ馳せ参じよう!”
その呼びかけに、1980年(昭和55年)1月13日、四国4県から1000人の同志が高松港に集結した。しかし、当日は、沖縄付近に発生した低気圧のため、太平洋は荒天との予報。重ねて学会本部から中止を促す電話が入る。“先生に一目お会いしたい 溢れる思いを押さえきれず、四国の幹部は「出港致します。ただし出港したあとは、すべて船長の判断に任せますと、池田先生にお伝えください」と返答。その数分後に折り返し池田先生から伝言が入る。「船長の判断に任すの件、了解。待っている!」
友を乗せた「さんふわらあ7」号は、池田先生が待つ横浜港を目指し出港した。
その4ヵ月後には、徳島、愛媛の友を乗せた「さんふらわあ7」号が、求道の大航海を行っている。
2001年11月、第1回四国青年部新世紀総会の席上、池田先生は、全国に先駆けて行動を起こした四国の友の姿を振り返り、こうスピーチをされた。
「一番大変なときに、まっ先に私のもとに来てくださったのが、一番遠い四国の方の心なのです。
あの日、四国の友は、わざわざ汽船(「さんふわらあ7」)を出して、やってきてくれました。私は、神奈川文化会館の一室の窓辺で、船が着くのを心待ちにしていました。
港に到着したときの、懐かしい皆さまの顔が、今も鮮やかに目に浮かびます。

 師の正義証明の原点 

「さんふらわあ7」号の求道の旅で、師と不滅の原点を築いた四国の友は奮い立った――師匠の正義を宣揚することこそ弟子の戦いである!
1981年(昭和56年)10月、四国研修道場で、全国初の展示運動が開幕する。
「人間讃歌の世紀めざして-池田SGI会長の平和行動展」
弟子による反転攻勢のこの展示には、四国4県から6万人を超える友が集った。
以来、四国青年部は、師匠が指し示す人間主義の思想を根幹とした展示活動を力強く推進してきた。「民衆が語る戦争展」「ソ連の人形と玩具展」「世界の子どもと教育展」「人間と自然との調和-環境展」「仏法と宇宙展」「世界不戦と平和のシルクロード展」「人類生存への道-農業展」「仏法と健康展」――。
そして、今、四国で始まった企画展示運動は、全国、全世界へと大きな波動となり広がっている。
正義の闘争を開始した四国の友の姿を振り返り、2003年10月、池田先生は「随筆『新・人間革命』広宣流布の勝利の大船」に綴っている。
なんと鮮やかな反撃であろうか。痛快な文化の勝利が、ここにあった
しかも、四国も愛する弟子たちが、自発的に発想した戦いの結晶である。私は、それが嬉しかった。
ともあれ、本当の戦いは、自ら起こすものだ。
過去に安住することなく、おのれの新たな戦場を見つけて、決然と立ち上がりゆくことだ!
その新しい勇気の挑戦が、新しい偉大な歴史を創るのだ!

 師弟共戦の原点 

「さんふらわあ7」号の求道の旅、師の正義証明の「SGI会長の平和行動展」の開催――。
池田先生は、その四国の友の燃えるような“求道”と“正義”の心に応えるかのように、1981年(昭和56年)11月、四国の地を訪問し、極悪への反転攻勢を開始された。
11月10日の「香川の日」記念幹部会の席上「宗門や反逆者への反撃は私がいたします!これ以上、皆様にご心配、ご苦労をかけたくない。私の心を知ってくださる方は、一緒に戦ってください!」と呼びかけた。その師匠の心に応えるかのように、師弟共戦の誓いが「紅の歌」に凝縮していく。
新たな時代を開く“師弟不二の魂の歌”を作りたい――青年たちの熱き心に、池田先生は即座に快諾。20数回に及ぶ推敲作業が始まり、民衆勝利の凱歌「紅の歌」は誕生した。
極悪とは断じて戦い、師弟の道を貫いていく――広布後継の決意が込められた「紅の歌」は、広布に前進する全国の同志に、勇気と希望を送り続けている。
池田先生は、2005年4月「紅の歌」誕生を振り返り、「随筆『人間世紀の光』雄々しき学会歌とともに」に綴っている。
この新しく生まれゆかんとする「正義の歌」で、彼らは必ず「新しい正義」を、「新しい広布の突破口」を、更に更に、そして一段とまた一段と、奇跡的な勢力をもって、切り開いてみせるという気概に満ちあふれていた。
私は胸打たれた。私は嬉しかった。私は、学会の未来は洋々と開かれていくだろうと確信した。
そこには、師弟の呼吸があった。その真剣な心が、私は涙がでるほど嬉しかった。

また、2009年3月、新時代本部幹部会では、次のように語った。
まさに「紅の歌」は、私と青年部が師弟不二の心で創った“正義の歌”であり、歌に不滅の命が宿っていると確信している。